「学術文化同友会」についての意見交換会から

大阪大学核物理研究センターに、土岐センター長をはじめ大阪・京都近郊から16人の方々に集っていただいて「学術文化同友会」(アンテナ欄からリンクできる)について意見の交換を行いました。センター会議室で午後2時半から3時間近く話した後、更にその後レストランに移動しての夕食会にまで話は続きました。
 
率直な意見の交換ができ充実した会で成功でした。この会を企画して下さった核物理研究センター酒見助教授の御尽力のおかげです。お礼を申し上げます。


意見交換会の様子を次の3部に分けて報告します。


  (1) 「学術文化同友会発足の動機」「意思決定の構図 - 原子核研究と原子力開発の例」
  (2) 「科学の広報、啓発、教育の努力」「教員のモティベーション
  (3) 「学術文化同友会の基本姿勢」「学術文化同友会の名称」「学術文化同友会の運営」


但し、これは会議録ではなく中井の意見や感想が入った記録です。その内容について補足・修正或は反論を参加者の皆さんにお願い致します。コメント欄に記入下さるよう期待しています。


    意見交換会から(1)    


意見交換会は、先ず議論を始める材料として発起人の中井が同友会発足の趣旨と、4ヶ月余りの試行的活動などについて報告し、本格的な活動に移るにあたって意見を伺いたいと説明しました。

学術文化同友会発足の動機

わが国の学術行政の基本を大きく変えた科学技術基本法が制定された直後の1997年5月に、伏見康治先生が主宰してこられたリンクスリセウムの最終シンポジウム「21世紀の学術研究と科学技術」http://www.kozinakai.com/Lynxが開かれました。このシンポジウムの趣旨説明で先生は「お役人の方の主導でなく、純粋な科学者集団としてどういう研究費の在り方を決めていったらよいかということを自分自身で考える、ということが大事ではないかと思います。」と、研究者主導の体制の重要性を強調されました。


それから10年が経ち,二期にわたる科学技術基本計画の実施によって研究の活性化は国策事業として一定の成果を挙げています。しかし, 科学技術基本法制定後の科学技術予算の大幅な増強は何をもたらしたでしょうか?
意見交換会では、中井が行なった一つの分析を紹介し討論しました(中井「これでよいのか科学技術振興策」http://www.kozinakai.com/nakai/nakai-2.pdf)。


新しい時代では学術の文化的側面が取り残され、基礎研究に携わる多くの人が不安を抱いています。
その不安や疑問の根源は意思決定システムの問題にあると考えます。

意思決定の構図 - 原子核研究と原子力開発の例

我々原子核科学者は、原子核科学の研究と原子力の開発を経験し、その中で、学術研究と科学技術開発の間に、意思決定の構図が大きく異なっていたことを学びました。


意思決定の構図は、次の二つのタイプに分けて考えられます。


   Type1:[研究者集団] → [学界] → [官僚] → [学術研究]
    (例) 学術会議とその傘下の団体 → 文部省 → 大型研究


   Type2:[財界・産業界] → [政界] → [官僚] → [国策的研究]
    (例) 電力業界・経団連など → 科技庁 → 原子力開発


このうち、Type1の意思決定のシステムをベースに発展にしてきた原子核科学の分野では、研究者集団の強い意欲と連帯意識の下に、戦後の科学を立ち上げ、東大核研が育成した共同利用研究の体制を基礎に、つくばの高エネルギ−研に建設されたトリスタン/KEKBまで数々の成果と人材を生み出てきました。他方、その間に展開した原子力開発事業ではType2のシステムをベースに戦後の世界で遅れをとった原子力産業を育成し、成長させました。(中井「原子核科学の半世紀」http://www.kozinakai.com/Nusc)


科学技術基本法施行後の科学技術行政はType2の下に巨大な予算が科学技術に投入され、Type1のシステムは優れた業績にもかかわらず失速した感じがしています。
意見交換の会では、Type1に対比して、Type2による科学技術の展開を批判的に論じ合いました。Type2の道は、公共事業の場合に酷似した構造になっていて科学技術の世界に不純な要素が持ち込まれ科学者を堕落させる要素があります。また、Type2では官僚による運用が強まりますが、その結果事業の ’丸投げ’ 的体質が目立ちその反作用として責任の転化、事故の隠蔽といった体質が育ってしまうこと、その結果として科学技術が社会の信用を失うという危うさがあります。実際原子力開発の歴史は不幸・不正な事故や事件が重なり、科学者のモラルが疑われる事件の連続でありました。


では、われわれは何ができるでしょうか? かつてType1の道をリードした学術会議に多くを期待できる状況では無さそうです。産業界・財界・政界の巨大な動きの中で研究者集団の意思を反映させる力はどこから生まれてくるのでしょうか? 政治家の力に頼るのは一つの方法でありましょう。それには科学者の毅然とした姿勢を育てなければなりません。米国のように、ロビ−活動に奔走する学者の姿は見苦しいしスキャンダルの因にもなるでしょう。それでも大計画を進めるリーダーには政治力が求められます。


意見交換会には、わが国原子核研究の中堅的研究者が集りましたが、現実的で堅実な考えが強調されました。Spring-8原子核研究を始めた藤原守さん、ペンタクォークの発見で注目をあびている中野貴志さん、原研とKEKの合同事業によるJ-PARC建設の中心を担う斉藤直人さん達は、Type2のシステムの中で、Type1の精神を活かす道を探すべきであるという頼もしい意見でした。この若い力が新時代を拓いていく原動力となることを感じました。関西人らしい前向きの姿勢を感じました。


「今は豊かになったのだから」という発言がなんどか繰り返されたことが、後で妙に気になりました。戦後の貧乏で苦しい環境の中で大型予算を獲得するにはType1のシステムが重要であったわけですが、時代が変わったと言われた気がしました。実際、1990年代の始めにOECDのメガサイエンスフォーラムに数回参加しましたが、その一つにDecision Making Mechanismに関するワーキンググループがあってアムステルダムに出かけたことがありました。この会で、私は日本の意思決定機構について学術会議中心に展開したType1の成功を大いにPRしたところ、アメリカやオランダの代表から日本は特殊だと言われたことを思い出します。仁科・朝永・伏見・茅・・・という大先輩の努力で生まれた日本の独創的なシステムであるのに、残念ながら外国では通じない考えであるとは意識していました。


ただ、Type1の重要な特性はその精神性にあると思います。自分たちの科学の成果が広島・長崎の不幸を生み、水爆開発・大気核実験似よる被害が世界を覆う時代を背景に、片手で核科学の危険を訴えつつ、他の手で原子核科学の基礎を固めてきた先達の精神は世界に誇れるものであります。Type2のシステムで豊かな時代が来るとしても、科学者のモラルを高く保つ努力を忘れてはならない、そのための努力が本会活動の中心的課題であると思っています。


    意見交換会から(2)    

科学の広報,啓発,教育の努力

意見交換会で、次に多くの時間をかけた話題は教育の問題でした。科学の発展のためには、科学に意欲を持つ若い人材を育てることが第一に必要なことです。そして、科学が尊敬され信頼される社会を築くことが大切です。科学と社会の問題は極めて広く大きく、多くの努力が払われています。科学の広報・啓発・普及等への努力、特に子供に対する教育の重要性は誰もが感じていて、誰もが何らかの努力に参加しています。この会でも、NHKの番組やビデオ解説のような画像を活かしたケース、大学・研究所や科学博物館等が主催する体験重視の企画など、いくつかの優れた例が紹介されました。この種類の努力については、優れたものを選んで、その内容ばかりでなく独創的な工夫を紹介し一層の充実を図ることの大切さが指摘されました。


優れたものを紹介する場として、このブログ「viva_arsの広場」を開放して、皆さんからの投稿をお待ちしたいと思います。ブログで扱えない大きなものは同友会のホームページで採り上げ、ブログに簡単な紹介を載せる方法も歓迎したいと思います。


同友会誌2号で始めた『智の教育」の探訪プロジェクト(http://www.kozinakai.com/vol2/tanbou.html)では、各教員の教育現場における努力を紹介することを始めたわけですが、これは各教員の努力を相互に知らせ合いそれぞれの現場での工夫にヒントを与えて「智の教育」普及をめざして企画しましたが、同時にこの紹介は高校生の進路決定に大きく影響を及ぼす効果もあるということに気づきました。高校生が大学を選ぶとき、大学の名前だけでなく教員を選ぶ機会を提供するということは大学教育に大きな効果を与えることになると思います。

教員のモティベーション

教育の問題を考えるとき、やはり中学・高校教員の問題を直視すべきありましょう。上に述べた教育の努力は大いに支持され広がって行くべきです。実際、文科省でもいろいろな形の支援策が建てられていますが、教育について最も基本的で大切なところの問題を見落としてはならないでしょう。それは、中学・高校教員のモティベーションの問題です。

初等中等教育の体制は、いわゆる55年体制の中で文部省と日教組の厳しい抗争の下にできた枠組で固まっています。労使の抗争と協議の中で出来た体制には、教員の質についての大きな見落としがあります。教員の数・待遇などが交渉の主テーマだったからでありましょう。勤務評定を行って教員の質を良くしようという誤った方策が取られ結局教員のモラールの低下を招いたことは良く知られていることです。


教員の質を論じるとき最も大切な要素は教員のモティベーションの高さです。モティベーションの高い教員を集める努力がどれだけなされたでしょうか? 物理の場合を例を挙げて論じます。他の分野でも全く同じでありましょう。
高校における物理の教育が軽視されて時間数が減らされ教員の数も減らされる傾向が目立ち、化学の先生が物理を教えているケースも少なくないという指摘がありました。物理の先生が化学を教えるよりましだと思いながら話を聞いていましたが、冗談ではないでしょう。これでは、物理の面白さが生徒に伝わるはずはありません。いかなる分野の教育においても、教師が教えている教科についてこれを面白いと感じ、自分の人生を賭けると思うくらいでなければ、教えていることが生徒に伝わるものではありません。教師の資格の原点はそこにあるべきです。


そこで考えさせられることは、果たして教育大学(旧師範学校)や教育学部で教師になることを前提に教育された教師は、いかなるモティベーションで教壇に立つ職に就いたかということです。教師になるための教師が教える物理の授業で物理の面白さが伝わるものでしょうか?


昔、中学校・高等学校の教師の多くは、第一線で活躍する、或は活躍した人たちでした。私たちの多くはそのような先生に影響されて物理の道を選んだものです。それは物理を学んだことより、その方々の生きざま、考え方に魅せられたからでした。今でも第一線で活躍する人の授業や、現場の見学は高い人気を呼びます。課外授業、出張授業、体験入学などの企画は常に人気の的になっています。ここで、もう一つ加えたい要素は、生徒といつも一緒にいる教師を第一線の研究者が務めることです。出張授業や体験入学が一時的な経験で終わると惜しいことです。


何よりも好ましいことは、中学・高校の教員が第一線の研究に参加していること、或は第一線の研究者が教員に雇われることでしょう(大師堂「高校理科に研究を」http://www.kozinakai.com/nakai/daishidou-1.jpeg)。それには本務と研究を両立させることの困難さに伴っていろいろな障害があると思われます。そこで、週2日ほどの高校における教職を任務とするPDの制度を設けるようという提案について意見を集め可能性を研究してみたいと思います。



    意見交換会から(3)    

学術文化同友会の基本姿勢

学術文化同友会を発足させて4ヶ月になります。この間、いろいろな可能性を試行して来ましたが、いよいよ4月から本格的軌道に載せたいと考え準備を進めています。そこで、この会の基本的理念、活動の方針、具体的な組織とその運営などについて意見を交わして頂きました。


「学術文化同友会」を提案し立ち上げたことに対する皆さんの反応は素晴らしく、大いに勇気づけられました。(http://www.kozinakai.com/nakai2/index1.html)
「志高く、また大変時宜を得た、素晴らしい企画だと思います」「’官的’な枠組みを離れてこのような活動を行うという志に感銘しております」などなどのご意見が寄せられ、2ヶ月のうちに50名を超える方々が会友に参加して下さいました。
しかし、当初から「この活動が,単なる意見交換の場の提供に終わることなく,本当に実効的なものとなるためには何をすれば良いかを真剣に考 え,なおかつ効果的に実行に移す必要があると思います」という御指摘も何人かの方から頂いています。「何をしようとしているのかわからない」という声も少なくありません。励ましとともに責任を問われているという気持がしています。

そこで、土岐さん、永井さん、中野さんらが居られる大阪に出向いてご意見を伺うことにしました。幸いなことに酒見さんのご尽力で16名もの方が集る意見交換会を持つことができました。大阪・京都のエネルギーには強烈なものがありホームに帰ったような気安さで意見の交換ができ、私の考えも率直に話すことができました。


われわれの同友会は大きなことを言っても、始めのうちは社会や行政に対して訴える力を育てることから始めなければなりません。従ってアピールの対象は、先ず研究者仲間のうちに向けられたものが中核となり、その中から社会に対する働きかけを強めて行くべきと考えます。先に論じた過去の体制 Type 1 の成功も原点は研究者集団の結束にあったわけで、相互理解の強く深い研究者集団を作らないと、社会や政治を動かす力にはならないと思います。この考えには、土岐センター長も強く味方をしてくださり、参加者の皆さんに理解されました。理解されたと思っています。

 

学術文化同友会の名称

これまでのやり方に対して、会友の皆さんから「取りつき難い」「発言の機会をつかめない」などのご意見をよく頂いています。本会の意図する本同友会を始めた動機は、ものに囚われず意見を交換できる場を作ろうということにあったのに、これでは意味のない努力になってしまうと思ったのでいろいろの方策を考えました。
まず、会の名称です。「学術文化同友会」という名前はいかにも固い印象を与えます。そこで、ニックネームを考え「アルスの会」にしたいと考えます。同友会誌第1号で紹介した伊達宗行先生の提案「アルスへの回帰」http://www.kozinakai.com/index-1.html に因んだ命名です。


次に、このアルス会の活動の基盤はインターネットの有効な利用により効率的なコミュニケーションを図ろうという考えにあるので、そのURLもこれ迄の’kozinakai.com’をやめて’viva-ars.com'に変えることにしました。現在、新しいドメインに移るための作業を進めていて、3月上旬には http://www.viva-ars.com に移行します。その前にも仮の措置として、このURLに入れば、自動的にhttp://www.kozinakai.com に入るようにしておきます。


また、会友の皆さんがコメント・意見などを表明しやすいようにと考えて、先日ブログを立ち上げました。URLは http://d.hatena.ne.jp/viva_arsです。(ホームページの方はviva-arsとハイフンで結んでいるに、ブログはviva_arsと下線で結んでいて混乱させるかも知れませんが、それぞれドメイン名のつけ方が限られているためです)


ブログは、本来日記のスタイルになっているので変則的な使い方になりますが、便利なもので有効に使えると思います。アルスの会の動向などを報せるほか、ホームページ記事の紹介や、ホームページに掲載するエッセイ・論文等の紹介に使えるし、逆にブログに収まりきれない長文はホームページに載せることも可能です。

会友との通信は、この他にE-メイルも活用できます。ホームページやブログは公開なので不特定多数の人が読みますが、外部に報せる必要のない情報や秘密はE-メイルで扱えます。

学術文化同友会の運営

試行的期間を過ぎて。4月から本格的な軌道に載せたいと考えると、その運営についてルールを決める必要があります。次のような案についてご意見を伺いました。
名称      上述のように「学術文化同友会:アルスの会」としたいと思います。
        活動の中心となるURLは、
          ホームページ  http://www.viva-ars.com
          ブログviva_ars http://d.hatena.ne.jp/viva_ars
目的      学術文化を護り、科学が尊敬され技術が信頼される社会を造る
構成      会友、会員、特別会員、賛助会員
組織      代表、執行部、事務局、企画グループ、専門グループ
会費      会友 1口 1,000円/年  会員 1口 2,000円/年  賛助会員 1口 20,000/年


以前からホームページで示していた案でしたが、この案に関して、特に、会友と会員の二重構造にすることの意味が問われました。当初は外部のいたずらや妨害による混乱を避ける必要を気にしたので、会員と会友の間に差をつけようとしましたが、結局、完全に開放的なシステムを作って来たので、会員という閉鎖的な考えは放棄しようと思います。具体的な活動の中で必要が生じたときには改めて考えることにすれば良いでしょう。
この他に特別なコメントがなかったので、この案を基礎に会友の皆さんに問うことにしたいと思います。


[文責:中井浩二]