報告 : アルス・タウンミ−ティングシリーズ[第1部]の印象

 
アルス・タウンミ−ティングシリーズ 2 [第1部]の記録とその後の情報を学んで

原子力開発半世紀の反省』報告とNHK番組『原発事故への道程』から学ぶ
                             文責:中井浩二|*||


福島原発事故の被害者には心からお見舞い申しあげます。特に,アルスの会の会員・会友は原子科学者が多く、核科学・放射線科学に従事している人達なのでこの事故に対しては,陰に陽に責任を感じそれぞれに行動をとり,それぞれに科学の在り方を考えて居られると信じます。事故の原因解明と事後処理に向けての努力は何よりも大切でありますが,同時にこの事故から学ぶことも数多くあります。
アルスの会では、第2回目のタウンミーティングシリーズとして「科学と社会の接点」をテーマとして採り上げ,およそ1年をかけて討論を重ねることと致しました。2年前に行った第1回目のシリーズでは J.J.ルソーの文明批判を採り上げ,産業革命以前に提示されたルソーの文明批判がまさに産業革命を経て形成された現代の社会の姿を予言していたと論じてきましたが,残念なことに,福島原発事故はその実証となりました。
ミーティングシリーズ2は1、2、3の3部で構成し、その第一部「原子力開発半世紀の反省」の第1回を月23日(土)、第2回は7月31日(日)、そして第3回は8月1日(月) に開きました。
今回は新しい試みとして,7月23日と31日の会議を東大理学部、阪大RCNP、東北大理学部の3つの会場を結んだTV会議形式で行いました。試みは成功したようで何人かの副会場参加者に喜んでもらえました。今後も続けたいと考えています。詳しくはここをご覧下さい。


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 <アルスコンベンション>
  アルスの会では申し合わせにより会合参加者の敬称をすべて"○○さん"と呼ぶことに決めました。
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 3つのミーティングについての報告は,取り急ぎ8月14日にアルスの会のブログ「アルスの広場」に速報を掲載しましたが、その後、ミーティングの「記録」をまとめ、その感想を本稿に記すまで2か月をかけました。これは筆者の加齢現象(?)による遅れが大きな原因ですが、執筆中にいくつもの重要な情報がテレビ・新聞などで得られたからであります。とりわけ,NHKによる番組「原発事故への道程」(1)、(2)は,私達の議論のなかで考えられなかった内容に関して、決定的な要素を含んでいました。それは、それまでに何となく感じていたアメリカの関与でした。

 最初に第1回のミーティングで小沼さんが原子力平和利用研究を提唱した学術会議における先輩達のご努力についてご自身が集められた豊富な史料を基に詳しく解説して下さいました。当時、学術会議では坂田•武谷・伏見先生らが原子力平和利用推進の力となり、会員の間で激しい議論を重ねられました。これは、いわば原子力推進事業の「事前評価」でありました。そして今回のミーティングは「事後評価」になります。

 このミーティングに山口(YY)さんが参加して下さり,原子力研究創設期に早川-山口らの先生方が強い危機感を持たれ、それが有名な学術会議における三村演説に結びついて原子力推進を図った茅-伏見提案を葬る結果になった経緯をお話くださいました。これが原子核研究者と原子力研究推進者の別れの因となったと言う指摘をなさいました。「やりすぎたかなと思っている」とご本人が述べられた感想は山口さんらしいなとその人柄を感じさせるご発言でしたが,その基となった早川-山口の危機感とは「原子核を知らずに原子力をやると言う人が蔓延って原子力をやること」への不安でした。福島の事故の原点として、その根底にあることを既に指摘して居られたと強く感じました。山口さんは更にわが国の科学技術における明治以来の海外依存の体質を繰り返し強調し批判されました。

 その後、原子力推進の機運は中曽根提案によって急展開し、正力・中曽根を軸に極めて政治的な力で進められました。学界の熱心な議論は政界•財界のの力に押しまくられて、伏見、武谷による「原子力三原則」を謳う原子力基本法の成立と言う成果を残しましたが,次第に影響力を失って行きました。原子力委員会に湯川先生が加わられましたが、1年余りで辞任されました。坂田先生も原子炉安全審査専門委員を任期を待たずに辞任されました。お名前だけが目的で委員を任命する行政のやり方に失望し愛想が尽きたということでしょうか?いずれにせよ、ここまでの話で気づくことは、学界側で活躍された大先生方は全て理論物理学者であって,原子核実験研究者の参画が無かったことです。純粋で潔癖な思考を尊重される理論物理学の先生方にとおて行政のやり方は我慢できなかったであろうとと想像されます。その点、実験屋は粘り強く対応できます。しかし、当時の原子核物理学では,戦後占領軍によって破壊されたサイウロトロンなど研究施設の復旧が急務であり、その後も長く学術会議を軸に共同研究体制を築く努力が優先していました。それでも、嵯峨根先生はアメリカで活躍してわが国の科学技術の復興に寄与されたし、菊池先生は、阪大および東大核研の研究施設を建設した後原子力研究所の第3代理事長を務められた。
 菊池先生が、原子炉の本当の危険性について世界で始めて「それは原子炉内に大量の放射性物質が蓄積さることにある」と警告されたことはアルスフォーラムで紹介しました。しかし、先生が病床で書き遺された「遺題」に応えようとする努力がなかったまま、日本の福島で原発事故に至ったことは残念であり、何よりも悔やまれます。

 7月1日の第2回ミーティングでは住田さんに産業界の対応について話して頂きました。学界、政財界の熱気のある対応に対し産業界の対応は必ずしも積極的でなかったというお話はショッキングでした。「本当はやりたくなかったのに政治の力で巻き込まれたのだ」と東電幹部が話しているのは補償責任の一部を政府に押し付けようとするものだと言う人もいますが、創始期に原子力の推進に努力された住田さんの実感として話されたことは大きいと感じました。

 国産1号炉JRR-3建設の努力についても話題になりました。最初は輸入から始まった原子炉の建設を独自の力でやろうというので、日立・東芝・三菱・富士・住友のが五者協力体制で国産技術を育てようという第一歩でした。しかし、その目標とは裏腹に原研側の担当者は各社がそれぞれ担当する部分の接点における作業の調整に追われているようでした。各社の取り組みの姿勢にも温度差があったようです。例えば、計測制御の部を担当された私たちの研究室の上司が、各社から集る人材の質を案じて「例えば、東芝で新人を募集して各部に配置する時,先ず家庭電気、強電,弱電 - - の順で良い人を採り計測事業部は一番最後の順になっている。」と嘆いて居られたことを思い出しました。国産一号炉は五社が結束して日本に原子力技術を根付かせようというものであったか疑問であって、どちらか一社の主導で作業を進める方がよいということを学ぶ結果となったようです。実際、その後の原子炉建設や動力炉の輸入は各社に別れて進められたようです。
 人材の養成ということが大切な目的であったと考えますと、建設に従事し経験を積んだ人の中には,その後大学に移って後継者を育てる機会を得た方も居られましたが、その大学において原子力(核)工学科が消えてしまいました。結局、政治家、正力・中曽根、の努力で軌道に載ったかに見えた原子力政策は、原子力技術を本当に日本の技術として育成し、熟成させたとは言えないでありましょう。人材の育成を軽視し経済効果のみに重点をおいた政策の過ちを反省しなければなりません。政治・経済主導によるトップダウンの進め方に問題がありました。
 住田さんのお話を聞いていると、産業界,特に東京電力を中心とした電力業界が積極的でないのに政治力によって原子力発電炉が次々と輸入され日本の電力供給の3割を受け持つくらいにまで及んだことが奇異に感じられました。何か「巨大な力」が働いている、それはアメリカのライフル協会と大統領の関係のようなものではないのか? 電力業界と日本の政治家の結びつきなのかと怖ろしくなっていました。
 そのようなことを考えていた時、NHKによる特別番組[原発事故への道程]を見ていて明快な答えが見えました。「巨大な力」はやはりアメリカでした。

 第二次大戦の敗戦国であり,原子力に関しては後進国である日本では,この新しい技術を学んで理解できる人は限られているし、学習に時間はかかる。ここにおいてもアメリカに依存する近道が最も賢明な政策でありました。日本にとっては、それが明治以来のやりかたであったわけです。一方アメリカの立場に立って考えると明白です。有名なアイゼンハワーの国連演説により、原子力平和利用を世界に進め、ウラニウムによって主導権を握ろうとする戦略を建てていたところ、同盟国日本の未熟な技術で進めようとしている原子力開発を助けることが政治的にも経済的にも賢明な政策であることは明白であったことでしょう。皮肉なことに国産一号炉建設を通じて、自立の努力が容易でないことを学んだ日本は,その後の動力炉については全面的にアメリカに依存して来たとしか思えません。結局,この過程の中でアメリカは50基を超える動力炉を日本に売り込むことに成功したわけです。日本の政財界は,学術会議に群がる学者より,世界から物理学の俊秀を集めてマンハッタン計画を成功させたアメリカの技術に頼ることになったのでしょう。ここに、原子核科学の半世紀と原子力開発の半世紀の著しい違いを感じます。

 自主・民主・公開を謳った原子力三原則の原則は、原子核科学の分野では完全に護られ,それが成功の原動力でありました。ところが、原子力の世界ではどうでしょうか?
 NHKの番組を見るまで全く知らなかったことですが、動力炉の輸入に際して、アメリカとは、ターンキー(Turn-KEY)契約という方式で契約を結んでアメリカの会社から購入したそうです。ユーザーとしての日本側は起動の為のキーを回せば良いという契約です。人材の養成が数的にも質的にも未熟な日本の業者にとっては、効率的で経済的な方法です。これは,人材の不足を補ってくれると考えられますが、これでは人材が育ちません。このようなことで50基を超える動力炉が我が国土に建設されたかと思うと恐ろしくなります。そして,実際、福島で大事故をおこしたわけです。
 ここまで論じてくると前述の早川-山口の危機感が強烈に頭に浮かんできます。「原子核も知らずに原子力をやるという人が蔓延って原子力をやること」の不安、つまり原子力の基本も勉強しないで,原子炉の怖さも知らないで原子力の経済効果のみに注目して原子力を推進する政治家と電力業者、輸入を担当しておおいに儲けた商事会社の罪は万死に値します。
 このことでアメリカを非難することはできないと考えます.商契約のことであり買ったほうの責任だからです。敢えて言うならばそのような資本主義的形態に基づく社会の問題だと思います。

 ところで、このターンキー契約で動力炉を購入したことは、「原子力三原則」違反の最たることであります。原子力三原則と言えば、マスコミを含む多くの人は自主•民主•公開のうち「公開」のことを問題にしています。しかし、3つが全て大切である中で,特に「自主•民主」の原則が大切だと考えますが、ターンキー契約はその大切なところに違反し最も非難されるべきことであります。三原則の存在に注目するマスコミの理解は表面的で本質を見誤っています。
 三原則が形骸化しています。今回のミーティングでも三原則が話題にあがりましたが、この本質に迫る意見はなく、三原則厳守を謳う教条主義的議論に左右されたと思います。
 教条主義とは何か?教条主義が何故悪いのか?と考えると,最も本質的で重要なことは、批判力の欠如を招くことです。日本には教条主義が蔓延りやすい体質があります。「原子力安全神話」を生んだ体質です。かつて,第2次世界大戦を引き起こしたドイツ・イタリーにもその体質があり国を不幸に導きました。不幸な福島原発事故の後の放射能汚染についても「基準値」なるものが定められると、その値の設定がどれだけの不確定性を持っているか,誤差はどのくらいかということを考えずに定めた値が一人歩きをして社会を不安に陥れています。これを教条主義と言うことが適当かどうかと思いますが、要するに批判力の不足です。科学にとって最も大切な要素が欠如しています。

 奈良で開いた第3回のミーティングでお話をうかがった能澤さんは,学生であった私を指導して下さった先輩のお一人でした.直接の指導教官ではなく研究グループも異なっていましたが、阪大の菊池研究室のどなたもがそうであったように、一緒に食事をする時、共同利用実験を手伝う時、ふとした会話で啓発されたものです。教室や講義室で教科書に沿って並んだ教育とは全く違ったことを学びました。それは先輩達の研究に取り組む姿勢であり、未知のものを求める物理の研究への憧れだったと思います。
 能澤さんは原研に移ってその精神を活かし高速炉開発に取り組み若い仲間を誘って研究グループを育てられました。その努力は最初の高速炉「常陽」を作る力となりました。その後、残念なことに高速炉建設は動燃の事業になったのでそれまでの努力は活きること無く終わりましたが,能澤さんが始めた頃の若い友人達の強い熱意は忘れられません。
 今、原子力発電についてやめるか否かの議論が始まっています。その内容はエネルギー問題をやめてどうするかということにあるようですが、福島の事故の反省点として人材養成、人材配置の失敗と言う大きな問題を見落としています。「事業は人なり」と言うように人材が無いまま原子力発電を続けることは危険です。「脱原発」という政策を言えば、原子力に一生を捧げようと言う若者は現れないでしょう。現場で活躍している人達のモラール(士気)も低下するでしょう。「脱原発」をいうならば、「廃原発」のほうが安全で良いでしょう。
 人材確保の要点は,若い人を惹き付ける魅力を持った事業を建てるべきであります。その工夫について、今後議論をして行きたいと考えます。

 奈良で開いた会合で、坂東さんが提起した問題は深刻でした。原子力を始めた時、そこで蓄積することが解っている廃棄物についてどのように考えていたか?という疑問でした。東京池袋で物理学会が主催した会合で原子力発電を続けるか?代替エネルギーを考えるか?を討論した時、有馬さんが「原発をやめるにしても続けるにしてもこれまでに蓄積した核廃棄物を処理することは必要である.これは科学者の責任である」と話されました。この問題については12月初めにアルスの会で勉強会を計画しています。

 最後に、ミーティングの中で湯川さんが言われたことに注目することが必要であると考えます。福島事故を分析して悪いところを改めて行けばよいという考えに対し湯川さんは真正面から疑問を提起されたと思います。
 「人は必ずミスをすると思うべきです。どんなに注意しても事故はおこるものです。それに想定外のことも必ず起こると考えるべきです。」と言われました。私も同意します。科学と社会の接点では、常にリスクとメリットのバランスを考えながら科学の果実を活かしているわけですが、原発事故のようにデメリットが大きい場合にはバランスは崩れています。もう一つの例は言うまでもなく戦争です。原爆です。このような例を挙げて考えることは、大変意義があると感じました、生命科学の周辺には沢山例が挙がることと思います。デメリットの大きさによっては、メリットの如何によらず切り捨て禁止すべきであります。
原発事故の大きさは、菊池先生の警告があったにもかかわらず福島原発事故にまで来てしまいました。その被害の大きさは戦争被害に匹敵すると考えます.
 小沼さんが幹事として活躍されている「世界平和アピール7人委員会」では早々と「原発に未来は無い:原発のない世界を考え、IAEAの役割強化を訴える」という声明を出されました。
 「科学と社会の在り方」について、なお考えていくべきテーマであります。」











中井 (nakai@post.kek.jp)