報告:2つのアルス・タウンミ−ティング@岡山, @奈良の印象

報告 : 2つのアルス・タウンミ−ティング@岡山,@奈良の印象 文責:中井浩二 


2010年3月23日(火)に岡山、4月3日(土)に奈良で2つの「アルスの会」タウンミーティングを開きました。
開催要領は、それぞれ アルスの会タウンミ−ティング@岡山、及び アルスの会タウンミ−ティング@奈良をご覧ください。今回は円卓討論形式で全員参加による討論をめざして企画しましたが、いずれも期待どおり10数名の論客が集まって活気に満ちた議論ができました。


討論の主題は、それぞれ、岡山「科学が尊敬され技術が信頼される社会の復興」、奈良「荒廃した教育からの脱却」でありました。先ず、現状の把握から議論を始めて,さて「われわれは何ができるか?」を考えるという構成で討論を進めました。いずれも、この大きなテーマに対して数時間の討論で答を出せるわけはないので、先ず皮切りのきっかけを作って今後各地で開くミーティングで詰めて行くことにしたいという考えでいます。

「アルスの会」タウンミ−ティング@岡山

科学技術の進歩は著しく、21世紀に入って国が科学に投資する体制が固められてきました。その成果が挙るとともに「科学と社会」の関わり方にも大きな変化が生じています。生活の向上を導く経済的効果についての社会の評価は高いと言えます。科学に対する国民の理解を深める努力も重ねられ国民の身辺に浸透していると思えます。しかし、それらの努力にも関わらず国民の科学技術に対する不信感が拭われたわけではありません。

例えば環境問題を考えましょう。地球温暖化の原因と言われている CO2放出の抑制を求める世界的世論に対しその最大の源となるエネルギー源として太陽光発電風力発電などの技術開発振興策が進められいます。それらと並んで重要な原子力発電も各国の注目するところとなってきました。ところが、わが国では原子力発電に対する抵抗は大きく、このままで国が強行することは危険です。
もう一つの例は資源問題に関連して、近未来に予想される海底開発の事業です。資源開発は、20世紀の宇宙開発より実りが大きいと考えられます。そのためには原子力潜水艇の開発が必須でありましょう。ところが、わが国で原子力船の建造はタブーのようになっています。このままでは、原子力潜水艦の技術を持つ米・中・ロの後塵を拝することになることは明白です。
原子炉産業の復興、原子力船建造などの可能性が産業界•財界•政界の主導による政策として動き始められることは充分に考えられることでしょう。その時、社会の理解と支持を得ることは容易でありません。20世紀後半の半世紀に進んだ原子力開発は、無から始まり海外の技術導入に努めた結果関係者の努力で世界のトップに並ぶ技術を育て上げ成果を納めました。しかし、その傍らで数々の負の遺産を残しました。とりわけ、最大の「負の遺産」は、科学技術に対する懐疑的な風潮を社会の中に生みつけてしまったことであります。
 今日の社会に見られる反科学的風潮をなくし「科学が尊敬され技術が信頼される社会」を復興し健全な議論ができる環境つくりが必要であると考えます。そのことをテーマに「アルスの会」タウンミ−ティング@岡山では円卓討論を行いました。

科学の平和利用と軍事利用

円卓討論は、先ず「原子力潜水艇の建造をアルスの会のトップページで唱えることには賛成できない」と言う意見によって口火がきられました。海底開発の意義は大きいし是非取り組むべきであると思うが、冷戦が終わったと言えど潜水艦建造の競争は激しく、軍事的争いに巻き込まれる可能性は大きいという意見でした。その後に続く議論は科学の「平和利用と軍事利用」について集中し意見が交わされました。特に核軍縮、核拡散防止などの問題については,世代による意見の違いが印象に残りました。1950年代に湯川•朝永•坂田•伏見•武田らの諸先生方が重ねられた努力とその成果、その国際的意義について紹介されました。誰もそれを批判的に論評することはできないことでした。しかし、米ソ2国間の冷戦時代と異なり、テロ組織が台頭してきた今日では、状況が変わっています。抑止力と位置づけられ、その拡散を抑えることのみを考えてきた核抑制策は既に破綻し、拡散することによりかえって巨大な核保有国が核兵器を使えないという皮肉な状況に陥っていることが指摘されました。更に「核軍縮」ばかりでなく拳銃等も含む一般兵器にも拡張して「軍縮」を考えることの必要性が議論されました。

核・放射線ばかりでなく、先端技術に関わるわれわれの研究は常に軍事利用に結びつく可能性があることが強調されました。この危険性は全ての科学者に常に伴っていることです。殊に多額の研究費獲得の際にリスクが大きくなります。レーガン政権時代のSDI構想がよい例です。科学者の良心に訴えることが大切であります。20世紀に日本の研究者コミュニティが誰一人として核開発に協力する科学者を生まなかったこと、そして日本が核武装をする可能性を完全に排除したことは偉大な成果でありました。1950年代の先達の努力の賜物であります。しかし、昨今の科学振興策には一抹の不安が伴っています。研究費の獲得が組織の維持に必須であり,ここの研究者の評価の要素となっている昨今の環境で科学者の良心は危険な状態にあります。

科学は所詮「両刃の剣」であります。軍事利用ばかりでなく科学者の良心に逆らう事案に巡り会うこともあり得ます。科学の公開性が求められる所以です。科学の危険性を公開し社会に訴えることが必須であります。しかしその時、充分に説明できないと、そのことが反科学的風潮を生みます。核兵器を許してはならぬというキャンペーンが、反原発運動に結びつき、誇大な放射線恐怖感を生む源になってきました。この科学者の悩みを一般人に伝えることはできるでしょうか? 科学コミュニケーションは、そこまで理解を深めることができるでしょうか?

学術会議の変容を憂う

平和目的の科学研究の成果が軍事目的に使われる可能性は常に存在します。核科学に限ったことではありません。科学者の責任であるとしても、自らの研究が軍事利用されそうになったとき個人ではそれを止める力はないと思うべきでしょう。研究者集団の力が大切です。学術会議は、1949年に創られたとき以来半世紀に亘ってその役割を果たしてきました。学術会議は、片方で核科学の不当な利用を抑える努力を重ねつつ、もう一方で研究環境の改善を政府に求めてきました。この二つの努力は表裏を為し半世紀に亘って健全な科学の発展を支えて来ました。科学者の良心と、科学者の研究環境を支えて来たこの体制は、21世紀に入ると科学技術会議を頂点とする体制の下に崩壊し、学術会議が変容してしまったことに注意すべきであります。
かつての学術会議の会員は研究者によって選ばれ、その選出組織としての研究者グループがそれぞれの研究分野の意志を代表していました。特に、基礎研究に関わる大型の研究計画はその場において討論され、長く激しい討論を経て提案にまとめられていました。いわば、厳しい事前評価を行っていたと言えます。そして中心となる研究所が推進する体制でありました。その間にも科学者の良心を問う姿勢が育っていました。一見すると専門分野の枠を超えるような問題に対しても発言し、科学技術の振興を批判的に対応してきました。そのことで政界・財界・産業界の不興を買うことも多かったと思います。この基礎研究の進め方は、原子力や宇宙開発のような国策が絡む目的研究の進め方とは対照的だったからです。学術会議の非協力的で非能率的しかも批判的な姿勢に対し、原子力開発の国策を推進する為、1959年に造られたのが科学技術会議でありました。

本会の討論は、研究資源の配分など現場の矛盾や不条理についての意見がしばらく続きました。新体制の中で学問外の要素に翻弄されている姿は淋しく悲しいものです。大学の教授達は大変な苦労を強いられ研究・教育に専念できないでいます。学術会議が研究環境の改善のために重ねてきた努力は、邪な科学者の出現を防ぎ健全な科学研究を推進するために必須でありました。そのことを忘れて、学術会議の努力が単に大型計画を始めとする研究計画の選定、研究資源の獲得だけに向けられるようになると、邪な科学者が現れ健全な科学研究の発展が阻害されることを恐れます。

新しい学術会議は、研究者の意見を代表していると言えるでしょうか? 21世紀に入って科学技術に対する投資が増し大型計画の実現が容易になったとしても、研究者の意思が活きて実現できるでしょうか? さらに、学術会議の提言が科学技術会議において如何に扱われるかという不安はつきまといます。研究グループのリーダーが如何にうまく立ち回るかというような要素で科学行政が左右される社会は恐ろしいものです。科学が、政財界•産業界によって支配されることになれば、軍事目的にも使われる危険性を高めるからであります。そうでなくても、学術会議が科学者集団のの良心を支えて来た機能は、もはや期待できないものになってしまいました。

学術会議の変容に対し、学術研究振興の健全な姿を取り戻そうと始めた「学術同友会:アルスの会」は、民の力で学術文化を護ろうという考えでした。その原点に立ち戻って粘り強く行動したいと考えます。

科学への尊敬は何故失われたか?

岡山における本会合の主題は「科学が尊敬され技術が信頼される社会の復興」であり、先ず「科学への尊敬が何故失われたか?」というテーマを論じたいと考えました。
20世紀の原子力開発で科学への尊敬を失墜させた原因には、2つの大きな要素があります。
  (その1):核兵器開発にに結びつく危険性への警戒
  (その2):国策的事業推進における原子力行政への不信
どちらも大きな問題でありますが、今回の議論は(その1)に集中し、科学の「平和利用と軍事利用」について専ら意見が交わされました。
(その2)については、後日改めて討論の機会を作りたいと考えています。
ところが、討論を進める中で思わぬ意見に出合いました。「科学への尊敬の失墜」は社会が成長し、科学を批判的に見る力をつけた結果であるという意見です。かつて科学が尊敬されたと思うのは社会が無垢であったことに他ならない。反科学的風潮には注意しなければならないが、科学技術に対する批判力の成長は大いに慶ぶべきことでありましょう。今回の円卓討論を通じて学んだことは沢山ありました。



「アルスの会」タウンミ−ティング@奈良

奈良のタウンミーティングは、興隆寺の子院であった旧「世尊院」(国際奈良奈良学セミナーハウス)で開きました。桜の季節で賑あう奈良公園の中にありながら、静かな環境で話ができました。テーマは教育の問題でした。
奈良でのタウンミーティングは3回目で、丁度2年前、やはり桜の時期に「各世代における科学コミュニケーション」という主題でミーティングを開きました。今回はその延長線上で特に初等中等教育が話題になりました。前回の講師、高橋克忠さん(けいはんな)、原俊雄さん(神戸大)、吉田信也さん(奈良女子大付属)に参加をお願いしました。参加者の殆ど全員は物理学研究の第一線で活躍する人達でしたが、それぞれの子供に対する豊富な経験を基に問題を提起し、活発な議論ができました。

教育における構成主義の弊害

円卓討論の話題は、小学校の教育現場の惨状に対する危機感の表明から始まりました。学級崩壊まで行かないまでも、授業内容の希薄さ、教師の姿勢、教師の能力等々について、驚くような実例の紹介に気持ちが暗くなる想いでした。
しかしその中で、高橋さんはご自身が努力されている校外活動の経験から子供達が勉強したいという意欲は高く、教師も教育に対する責任感は高いと強調されました。兵庫県で校外活動を進めて居られる原さんも同じお考えであります。では、何が悪いのであろうか?その答えは2年前に奈良で開いたミーティングで、原さんが指摘された教育における構成主義の弊害であります。(2008年4月6日の記事 参照)
原さんは、構成主義の弊害を次のように話されました。小学校の現場では「教えてはいけない!」という指針がまかり通っていて、指導要領に明記されている。子供には,自ら考えて,自ら学び,自ら気づかせる、ことを指導の基本とされている。この年代の子供には強制的にでも教えることが必要なことが多い(例えばかけ算の九九のように)。」教育における構成主義の悪弊について前回のミーティングにおける原さんのお話 を繰り返すことは避けますが、その構成主義が蔓延る学校で教師に与えた影響は大きく、学科の教育ばかりでなく、良好な人間関係形成に大切なマナーや友愛の精神を育てる教育に対して教師の責任感が欠落している例が指摘されました。( 教室の掃除当番をさぼる子供に対し、先生は本人が気づくまで待つとして注意を与えないという事例が紹介されました )。
このような誤った指導要領をまとめて全国の学校教育を導く文科省教育委員会等の責任は大きいと思いますが、それに盲従する現場の教師はも困ったものであると思いました。彼らの教育に対する責任感は強い。それなのに業務内容があまりにも多いと弁護する意見もありました。しかし、教師が自信を失っている、或は自信を持てない人が教師になっている、という感想を全員が持ちました。

小学校教員の自信回復を図る

どこの世界でも共通することですが,自信を持てないものは、声が小さく、主張が弱い、そんな傾向は一般に誰もが感じるところです。小中学校の先生も例外ではないでしょう。
理科の授業に限って考えると、小中学校の先生は文系の出身者が多く半数以上或は7〜8割に及ぶそうです。その先生方が、充分に理解できないで自信の持てない理科の内容を子供達にに話そうとすると、声が小さくなり、質問が怖く感じられることでしょう。
今日の小学校教育を改善する為に第一に考えるべきことは「教師に自信を持ってもらうこと」であります。自信を持つ為には教科の内容を充分理解してもらうことであります。そう考えると理科を良く理解した教師の養成が何よりも大切なことです。最も直接的な努力として考えるべきことは教員養成課程のカリキュラムの見直しでありましょう。ここで理科を特別扱いするわけは、文系に比べて理科の教育は観察・実験が重要なのに現在の教員養成課程にはその考えが欠けている、或は弱いと思われるからです。

この問題について2度もミーティングで採り上げてきた結果、われわれも何かできることを考えるためワーキンググループを設けようということで意見が一致しました。
「教育を改善する努力は小学校から始め、先ず教師を支援し自信をつけてもらうことである」という命題を掲げて有志に働きかけ、「アルスの会」として大学における教員養成課程カリキュラムの改訂を提言し、同時に併行して小学校教師を対象とした研修活動をするなど、いろいろな可能性を考える。その為にワーキンググループは、先ずその行動の基礎となる考えを良く検討して行動の理念を固めることから始めようという結論に達しました。


この後休憩時間をとり、桜の咲き乱れる奈良公園の散策に出ました。さくらに劣らずひとの群れにも圧倒されました。

スーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH)

休憩後の第2部では、奈良女子大学付属中等教育学校の吉田副校長から同校のスーパー・サイエンス・スクール(SSH)活動についてお話を伺いました。詳しくはここをクリックしてご覧いただきたいと思いますが、その活動は大成功で絶賛を得たものでありました。大臣賞を始め、中学生・高校生のコンクールや発表会の受賞まで数々の賞を受け、そして何よりも大切なことは生徒達の向学心・昂揚心を満たす成果が挙っています。中等教育の理想的で模範的なケースを学ぶ思いがしました。(同校のSSHプログラムは新たに5年間採択されました)
SSHプログラムには、100校を超える高等学校或は中高連携の学校が指定されています。玉石混淆であるに違いないが、いずれも新しい中等教育の展開を目指し、それぞれに工夫されたプログラムが進められています。
100校を超える例が揃ったところで、評価を行いベスト10とか20を選んでみると良いのではないかという考えが浮かんできました。ここで言う評価は監査と異なり、良いものを選ぶことであります。その作業の中で何が優れた結果を挙げた要因であるかを考える良い資料を得ることができます。例えば、成功した例では中高一貫教育が多いとか、大学や研究所との連携が良い結果を与えたとか、或は企業との連携が好ましい結果を生んだとか、興味深く中等教育の在り方を示唆する資料になると信じます。
また、われわれには新しい発見でありましたが、SSHのカリキュラムには指導要領による要請は考えなくて良いと言うことを知りました。そうすると、指導要領が及ぼす影響を調べる興味深い資料も得られるかも知れないと思います。是非、SSHのベスト20を選ぶワーキンググループもつくりたいと思います。

ワーキンググループの形成について

この奈良で開いた教育についてのタウンミーティングでは、次の2つのワーキンググループの形成が提案されました。
 (1)[初等教育] 小学教員を励まし自身をつけてもらう方策を考え、社会に提言する基礎を固める。
 (2)[中等教育] スーパーサイエンス・ハイスクール(SSH)のベスト20を選び、成功の要因を分析する。
アルスの会が社会に向けた行動を始めるには、適切なテーマであると考えます。ワーキンググループは、先ずコアメンバーを固めた上で近く公募したいと考えていますが、他薦自薦を問わず、ご推薦・ご意見を
中井 (nakai@post.kek.jp)までお寄せ下さい。