J. J. ルソーの第1論文「学問芸術論」と「アルスの会」の精神につい

J. J. ルソーの第1論文「学問芸術論」とアルスの会の精神について

 文化としての学術を護るという行動目標を掲げて「アルスの会」を立ち上げて4年になります。発足に際し特別会員の伊達宗行先生が「アルスへの回帰」という課題を提起されました。

 サイエンスもアートも無く全体としてアルスと呼ばれていた時代に立ち返り、産業革命によって変革を遂げた社会を反省することは本会の重要課題の一つであり、「科学と社会」の在り方を反省することが行動の原点であると考えています。「科学者のこころ」について何を論じ、何を訴えるか、暗中模索の日々が続いていました。そんなある日のこと、国際高等研で副所長の中川久定先生からJ. J.ルソーは産業革命について懐疑的であったというお話をうかがいました。そして、ルソーの「学問芸術論」(前川禎次郎訳、岩波文庫)をお教えいただきました。学生時代から、難解な言葉のつながる哲学書思想書はあまり好きでなく多くは途中で放棄したものでありましが、ルソーの論文は一晩で一気に読みました。そして20代の頃のように興奮を覚えました。

 ルソーのこの論文は「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したか」という課題でフランス, ディジョンのアカデミーが募集した1750年度懸賞論文にルソーが応募し当選したものであります。それまで無名であったルソーはこの論文で一躍有名人になったというものです。
ルソーはアカデミーの課題に対し否定的な論を建てています。ルソーの論文の前川訳から文章の一部を抜粋しますと、
*学問芸術の光が地平にのぼるにつれて、徳が逃げてゆくのがみられます
*われわれの学問と芸術とが完成に近づくにつれて、われわれの魂は腐敗したのです
*生活の便宜さが増大し、芸術が完成にむかい、奢侈が広まるあいだに、真の勇気は萎縮し、武徳は
 消滅します


など、言葉の一つ一つが新鮮な響きをもって心に伝わり、共鳴する感動をおぼえました。
 翻訳者が解説で述べられているように、知識よりも徳の重視、教育の改革、奢侈と不平等への敵意、原始状態への憧れ,社会を圧する腐敗と滅亡の脅威、などルソーの思想のほとんどすべてがこの論文に表されています。これこそまさに「アルスの会」が求めている精神であると思いました。ルソーのこの論文は、その後の数々の論文「人間不平等起原論」「社会契約論」「エミール」などの起点となり、フランス革命を始めとする思想の原点ととなりました。

 ルソーが論じたこの論文の素材は、当然18世紀以前の過去の歴史に基いています。エジプト・ギリシャ・ローマ・・・の歴史です。そしてシナの歴史も多くを教えてくれます。しかし、われわれはルソーが知らない近代の歴史を知っています。産業革命の結果、夏目漱石を悩ませたロンドンの公害、第一次大戦の兵器開発による破壊と大量殺戮、第二次大戦の原子爆弾の悲劇、など、数限りない例を挙げることができます。社会の腐敗、人類の滅亡の危機に襲われてきました。一方、それらの中で進歩した科学技術は人類に便宜を与え、豊かさを生んできました。内燃機関、自動車、航空機、電子技術、核エネルギー・・・などはその例です。ルソーはそれさえも、人間の徳を消失させ、真の勇気を萎縮させていると言うのでしょう。科学技術を志し、推進してきた人たちには反論したくなる議論です。

 ルソーの論文は高い評価を受けましたが、必ずしも全面的に受け入れられたわけではなく、当時でも批判は強かったそうです。何よりも先ず、科学が成熟していない時期にそれを評価して否定的なことを言える状況に無かったことには注意すべきでありましょう。軍事のために開発された航空機や電波技術が社会に貢献していることを、ルソーはどう考えるでしょうか? そして、われわれはどう考えるべきでしょうか?
 ルソーの考えは前時代的で批判されるべき要素が多いとしても「知識よりも徳を重視する精神」は時代を超えた普遍的なものであると考えます。産業革命が拓いた19〜20世紀の社会では、学問や芸術は産業・軍事を支える政治・経済の支配に強く影響されてきました。21世紀の社会も同じことが続くことでしょう。

 21世紀の今日、われわれは更に新しい進展を見ています。素晴らしい科学技術の発展に目を奪われる日々を体験しています。しかし、この日常的な体験の中で、ルソーの論文を読むと,ルソーが提起した問題が鏡に映し出されるように次々と浮かび上がってきます。科学者の「徳」が薄れています。科学者のこころが蝕まれています

 とりわけ、21世紀になってからの我が国の科学技術振興策には大きな疑問が感じられます。科学技術の推進が、産業振興を重視する政治家・官僚によって支配されるようになった結果、成果主義中心の競争的研究環境が生まれ、研究者の多くは苦しんでいます。科学者が、学問の目的ではなく、研究費獲得のために自己の研究テーマを選ぶ時代になりました。大学や研究所はその存在意義を忘れ、ただその存続をざす資金獲得のために研究・教育のプロジェクトを建てています。
そのような環境の中で、学者の「徳」が消えつつあります。そして学者の腐敗も聞かれるようになっています。文化としての学術は危機にあります。

 このときに、もう一度ルソーの論文に帰り「徳」を護ろうという精神を呼び戻したいと考えます。
その精神こそが、文化としての学術を護る「アルスの会」の基本理念だからであります。

(中井浩二)