謹賀新年

viva_ars2009-01-01

謹賀新年




「小林・益川ノーベル賞受賞」ー 20世紀学術研究体制の勝利

 昨年は小林・益川両氏のノーベル賞受賞という嬉しいニュースに日本中が湧きました。 何をおいてもまず、小林さん、益川さんに心からお祝いを申しあげます。次に「小林・益川をストックホルムに送ろう」という合言葉のもと、トリスタン実験・ベル実験に全力を尽くした高エネルギー物理学研究者の皆さんにお慶びを申し上げます。この歓びは20世紀後半におけるわが国の学術研究体制の勝利であると言えましょう。


 湯川博士ノーベル賞受賞が発表された1949年に日本学術会議が発足しました。湯川博士の業績を記念して4年後に創設された京大基礎物理学研究所はわが国の全国共同利用研究体制の起点となり、学術会議では原子核研究連絡委員会とその下部組織が研究者の意見を集約して強固な態勢を築き上げて来ました。実験分野では全国共同利用研究機関として東大に原子核研究所が附置され、さらに1971年に大学共同利用機関として 高エネルギー物理学研究所(KEK)が設置されて世界のトップに並ぶ大型研究の基盤が整いました。この間、仁科・菊池・朝永・湯川・坂田・伏見らの諸先達が築かれた研究態勢が20世紀後半に華を咲かせました。小林・益川両氏のノーベル賞受賞はそれを象徴する慶事でありました。


 小林・益川の両氏は、米国BNLの実験でフィッチ・クローニンが発見したCP保存則の破れを説明するには、当時知られていた3種のクォーク(u,d,s)だけでは不十分でもっと多くのクォークが存在すべきであるということを予言しました。小林・益川の理論が発表されたとき、これに注目してその重要性を研究者仲間に説いたのは菅原さん(KEK理研究部主幹)でした。成熟した共同実験研究体制のもとに、全国から高エネルギー研究者が KEKに集りトップクォーク(t)の発見を目指してトリスタン実験が始まりました。cクォーク、bクォークは米国で発見されていました。不幸なことにトップクォークの質量は予想を超えて大きくその発見には至らずに終わりましたが、日本の科学技術の発展と国際的地位の向上をもたらす結果となりました。
 高エネルギー加速器研究機構(KEK)の長となった菅原さんは、このトリスタン実験が育んだ研究の基盤を活かすため、後継プログラムとしてベル実験を始めました。再び全国から高エネルギー研究者が集まって着実に実験を進め、小林・益川理論の実験的実証に成功しました。そして「小林・益川をストックホルムに送る」という念願を果しました。


 小林・益川ノーベル賞受賞の社会的影響は絶大であります。
  (1)基礎科学の重要性を強く訴えたこと、
  (2)子供や若者に夢を与えたこと、
  (3)日本の実力を世界に示したこと、などなどです。
 しかし、これは20世紀における日本の学術研究態勢から生まれた果実であるということを忘れてはなりません。学術会議とその下部組織が支えた20世紀の学術研究の環境は、21世紀に移る時期に合わせるかのように大きく変質したからです。20世紀の学術研究態勢は過去のものとなりつつあります。学術の発展は、更に大規模のプロジェクトを世界的規模の協力のもとに進めることが必要になっています。21世紀の学術行政の中で,特に研究者の意思が活かされる体制が望まれます。もう一度、20世紀の学術研究態勢を総括し、新しい世紀への指針を考え直すことが大切であろうと考えます。  (中井浩二)